2011年3月16日水曜日

東日本大震災

平成23年3月11日。忘れられない日になりました。
ちょうど私は仕事中で、都内の品川にいましたが、地震発生時は、遠く田町の建設中高層ビルにあるタワークレーンが、今にも倒れんばかりに左右に揺れていましたし、品川駅近くの高層ビルがしなるように揺れていました。地震発生後は、近くを走る東海道本線から乗客が降りてきて線路上を歩いて品川駅にJR職員に誘導されて向かっていました。当然仕事は終わりで、さて帰宅しようとしても、都内交通機関は麻痺状態。石神井まで品川から約25キロ。歩いて帰るしかありません。

そこは悩んでも仕方ない。

1時間4キロ歩くと、自宅まで約6時間。夕方6時に出発すれば、夜12時に着く。これで覚悟を決めてひたすら歩いて帰りました。

途中、同じように普段電車通勤する人たちが、通りに行列つくって歩いて帰っていました。驚いたことには、自転車屋さんに長蛇の列。自転車を買う人がたくさんいました。タクシー使っても、ずっと渋滞でメーター上がるばかりだし、歩いて帰るにはきついし、それで自転車なのでしょう。

あと通りを歩く人たち、意外と明るい表情をしていました。『もう疲れたから、飲んでいくかぁ!?』とか、言ってる人もいて、通りの飲み屋は案外人が多かったです。都内でもあれだけの揺れがあったあとなのに、みんなあっけらかんとしていました。そういう私も、途中こじんまりした寿司屋があったので立ち寄り、生中2杯と寿司を軽く食べました。そこにはなんと石垣鯛の老成魚『クチジロ』の魚拓がありました。そこでしばし釣談義をして、帰りました。

テレビではこのような日本人の表情は全く報道されませんが、私の見た限りでは、東京にいる人は、意外とダメージを受けていません。確かに、スーパーでの買い占めなんかは、ちょっと嫌だなと思うところもありますが、普段よりも物流の量が減っていることも、買い占め状況になってしまっている一因ではないかとも思います。

日本人は古来よりさまざまな国難、飢饉、戦争、特に天災を経験しており、その実体験からくる身に染みた教訓が、血の中に記憶として宿っているのかもしれない、と大地震後の都内の人をみて思いました。

きっと、東北の被災された多くの方々もそうなのではないかと察します。また、自衛隊や警察、消防士、東電の方々、命を賭して国難に立ち向かっておられます。まさに大和魂を感じます。なんとかご無事で生還されることを願うばかりです。

放射能汚染については、あまり心配していません。理由は、内容が難しいので説明できませんが、youtubeやニコニコ動画で見れますが、チャンネル桜で高田純先生が説明されておりますので、そちらをご覧ください。



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