2011年4月21日木曜日

千葉の磯へ

24日に神津へ行く予定でしたが、やはり天気がよくなさそうなので、残念ですが中止しました。

かわりに、水曜日ですが、場所は変わりますが千葉の磯に行く予定を組みました。千葉のどこに行くかは、はっきりと決めていません。イメージ的には、伊豆よりも水深が浅く、釣り人もたくさんいて、魚影は薄くなっているのかなと思っています。でも水温も伊豆より上昇傾向ですし、春の大物がドカンとくるかもしれないので、楽しみです。

2011年4月19日火曜日

週間天気

今週24日の天気がヤバイです。
雨になるようです、神津島。
延期せざるを得ないですかね、もしくは雨天決行するか。雨天の場合は、波浪がきついかもしれないので、渡船が出ないかもしれない。
雨の中、地磯でやるか。。。

ちと気になるのは、南房あたりの海水温いい感じになるかもしれない、ということ。

でも、やっぱり延期したほうがいいか。。。悩むところです。

2011年4月9日土曜日

4月24日に神津かどっかに行きます。

神津の渡船屋へ連絡を取り、4月24日に神津島に行くこととなりました。狙いは当然石鯛か石垣鯛。
凪ならば、イナンバか銭洲に行くとのこと。もしかしてもしかすると、口白が釣れるかも。まぁ、期待はモクモクと膨らむところです。

これからどんな仕掛けで臨むか、考えるだけでも楽しいですね。

ただ本当に天気さえよければいいのですが、それが気がかり。

2011年4月8日金曜日

五島直送マハタを食べた!

最近、お酒も飲んでないので、近くの居酒屋に行った。

そこは、長崎県五島列島から直送の鮮魚を食べさせてくれる店で、常にその店の前を通るときは、どんな魚が入荷しているか、チェックしています。

それで、通りがかると、『ハタ刺身』とあったので、サクッと店に入る。


ハタはハタでも、マハタ。私の好きなのは、やはり超高級魚のキジハタだが、まぁ、いいかと思い、お酒と一緒に食べた。

マハタでも、かなりうまかった。石鯛もいいけど、実はハタ系の魚も好きで、以前五島で釣った大型キジハタを鍋で食べた時の味が、いまだに忘れられない。実は石鯛よりも釣れたら、うれしいです。

次回五島に行くときは、石鯛とハタを狙います、っていつ五島にいけるやら。。。(ー_ー)

2011年4月5日火曜日

4月になりました

やっと、4月になり、そろそろ石鯛シーズンが始まろうとしています。
海水温を見ると、神津では15度台。まだ早いのかな?と思います。
今月24日あたりに行こうかと思いますが、財布の中がいささか心配です。
神津に行きたいが、神子元にするか、南伊豆の地磯か。まだ決めていません。

まあ臨戦態勢だけは整えて、18度くらいになれば、神子元か神津に行きたいですね。

話は変わりますが、東日本大震災について、さまざまな津波の動画がアップされています。
本当に津波の威力の前には人間なんてひとたまりもありません。いまは瓦礫の山ですが、すべて撤去されれば、なんというか原始時代の姿に戻ってしまいそうな気がします。そのような町に、果たして長期的に復興などできるのでしょうか。実際に町の復興に携わる人の労力たるや、並大抵のことではないと推察いたします。今は日本だけでなく世界中から応援メッセージや、チャリティーなどが盛んに催されており、義捐金も集まるでしょう。ただ、これから長い年月のなかで、それらの運動が継続されていくでしょうか?

仙台の被災されている人の動画で、何不自由なく生活している人間が、被災者へチャリティーとか応援とかのテレビ番組なんかやっているが、そもそも現場の状況を生で見ていないくせに、震災のこと語るな!という内容の動画がありました。被災されている方にとって、何不自由なく生活している人間から、『みんなひとりじゃないよ!』とか『頑張って』とか言われても、何の慰めにもならない、励ましにもならない気がします。本当の励ましとは、同じ苦境に立たされた者同士によってなされるものだと思います。

本当に復興を成し遂げることのできる人とはだれなのか?

それは、その土地に生まれ育った人だとおもいます。それは今現在住んでいる人だけではなく、そこで生まれ育ち、就職でほかの町に行った人も含まれます。上京して就職した人たちなどです。東北から上京された方々、自分たちの故郷のことが心配に違いないと思うのです。私の予想ですが、このような人々が、被災地の復興を達成するような気がしています。

私の故郷は、九州の福岡ですが、これから先どのような天変地異が降りかかってくるか、わかりません。ただ、自分の町が今後、大災害になり何もなくなっても、またよみがえらせたいとおもいます。

そんなことを考えているうち、今は東京に住んでいますが、福岡に帰ろうかなと思っています。

ちなみに、福岡には、石鯛の釣れる場所が、結構あります。

2011年3月23日水曜日

大地震から12日目

東京はここ2日ほど冷たい雨が降っています。本当に凍えるような冷たい雨で、夜勤仕事をしている私は、かなり堪えます。ただ、震災に伴う、街中のピリピリ感は、若干和らいできたように感じます。やはり、原発事故が少しずつ快方に向かいつつあるからでしょうか?

私自身もなんだか少し気持ちが若干和らいでいる感じがしています。福島原発事故で、決死の活動をされている、東電の職員、関連会社の方々、自衛隊員、消防署員、ハイパーレスキュー隊、警察官、機動隊員、これらの方々の決死の尽力を見ると、ありがたいと思うと同時に、気持ちが和らぐというか、同じ日本人でよかったとの思いが、湧き上がってきています。

そのような最近ですが、『私に何ができるだろう?』という疑問がでてきます。

私自身、当然ながら日々の生活を送らなければいけません。まずできることは、募金だと思います。もう少し懐が温まれば、募金します。^_^;

あと、来月には、釣りに行こうかと思います。もちろん石鯛を狙って。ただ、気になるのは、ガソリンが満タンにできるかどうか、またガソリン価格が高騰しないかどうか、ですね。あと渡船の料金、えさの確保、道路が通れるか。できれば、神津島か銭洲に行きます。


2011年3月16日水曜日

東日本大震災

平成23年3月11日。忘れられない日になりました。
ちょうど私は仕事中で、都内の品川にいましたが、地震発生時は、遠く田町の建設中高層ビルにあるタワークレーンが、今にも倒れんばかりに左右に揺れていましたし、品川駅近くの高層ビルがしなるように揺れていました。地震発生後は、近くを走る東海道本線から乗客が降りてきて線路上を歩いて品川駅にJR職員に誘導されて向かっていました。当然仕事は終わりで、さて帰宅しようとしても、都内交通機関は麻痺状態。石神井まで品川から約25キロ。歩いて帰るしかありません。

そこは悩んでも仕方ない。

1時間4キロ歩くと、自宅まで約6時間。夕方6時に出発すれば、夜12時に着く。これで覚悟を決めてひたすら歩いて帰りました。

途中、同じように普段電車通勤する人たちが、通りに行列つくって歩いて帰っていました。驚いたことには、自転車屋さんに長蛇の列。自転車を買う人がたくさんいました。タクシー使っても、ずっと渋滞でメーター上がるばかりだし、歩いて帰るにはきついし、それで自転車なのでしょう。

あと通りを歩く人たち、意外と明るい表情をしていました。『もう疲れたから、飲んでいくかぁ!?』とか、言ってる人もいて、通りの飲み屋は案外人が多かったです。都内でもあれだけの揺れがあったあとなのに、みんなあっけらかんとしていました。そういう私も、途中こじんまりした寿司屋があったので立ち寄り、生中2杯と寿司を軽く食べました。そこにはなんと石垣鯛の老成魚『クチジロ』の魚拓がありました。そこでしばし釣談義をして、帰りました。

テレビではこのような日本人の表情は全く報道されませんが、私の見た限りでは、東京にいる人は、意外とダメージを受けていません。確かに、スーパーでの買い占めなんかは、ちょっと嫌だなと思うところもありますが、普段よりも物流の量が減っていることも、買い占め状況になってしまっている一因ではないかとも思います。

日本人は古来よりさまざまな国難、飢饉、戦争、特に天災を経験しており、その実体験からくる身に染みた教訓が、血の中に記憶として宿っているのかもしれない、と大地震後の都内の人をみて思いました。

きっと、東北の被災された多くの方々もそうなのではないかと察します。また、自衛隊や警察、消防士、東電の方々、命を賭して国難に立ち向かっておられます。まさに大和魂を感じます。なんとかご無事で生還されることを願うばかりです。

放射能汚染については、あまり心配していません。理由は、内容が難しいので説明できませんが、youtubeやニコニコ動画で見れますが、チャンネル桜で高田純先生が説明されておりますので、そちらをご覧ください。